清水智信(しみずとものぶ)

生年月日・・・1981年6月28日
福井県福井市生まれ

[経 歴]
1994年 順化小学校卒業
1997年 明道中学校卒業
2000年 北陸高等学校卒業
2004年 東京農業大学卒業
2004年 プロデビュー(金子ボクシングジム所属)
2008年 第51代日本フライ級王座を獲得
同年、ふくいブランド大使に任命される
2011年 第20代WBA世界スーパーフライ級王座を獲得
同年、福井県スポーツ特別賞、福井市市民栄誉賞を授与される
2012年 現役引退
同年、福井市大和田にボクシングスタジオ「ボックス・スタイル」をオープン

[現 職]
(株)ボックス・スタイル 代表取締役

清水智信

幼少~現在までのエピソード

幼少期

1981年6月28日、老舗寝具店しみずやを営む両親の次男として、福井駅前で誕生しました。(未熟児でした)。
名前の由来は、孫子の兵法にある五常「智・信・仁・勇・厳」。その中の、知力・洞察力・先見力などのあらゆる知恵や知識(智)を持ち、信望や信頼(信)を受ける人になってほしいという願いを込めて、父母は「智信」と名付けたそうです。
幼少期は、近所の友達と地元のお祭りに行ったり、公園で遊んだりすることが大好き。この頃からカメラ目線は一丁前に得意でした。

幼少期

小・中学生時代

 近所の友達と地元のお祭りに行ったり、スポーツを楽しんだり、いろいろなことに興味を持ち、何事にも本気で挑戦した少年時代!
順化小時代はミニバスケットボール、サッカー、ブラスバンド、明道中時代はサッカーに明け暮れる日々を送っていました。この頃の夢は、Jリーグに入ってプロサッカー選手になることでした。

小・中学生時代

高校生時代

サッカー少年だった私は、高校入学後も迷わずサッカー部に入部しますが、挫折し退部・・・。夢だったサッカー選手の夢が打ち砕かれ、しばらくは目標を見失い、打ち込むものが無くなりました。まるで心が路頭に迷ってしまったような状態だったことを覚えています。初めての挫折感を味わい、落ち込んでいた私ですが、高校1年の秋、「ボクシング」との運命的な出会いがありました。ボクシング競技を通じて、より自分という「個性」を表現することができ「何事もあきらめずに頑張ること」を実感したのです。
苦しい練習を重ね、試合に臨み、そして勝利を得ることで、ボクシング競技に夢中になっていきました。

高校生時代

大学生時代

ボクシングの名門、東京農業大学に進学。初めて親元を離れ下宿所生活を経験し、人間的にも精神的にも大きく成長したのではないかと思います。ボクシングでは、国体、全日本選手権で準優勝を果たし、アテネオリンピック強化指定選手に選ばれ、大学4年時にはボクシング部主将として部を牽引しました。

大学生時代

プロデビュー・九州じゃんがららぁめん

 大学卒業後の2004年、金子ボクシングジムより念願のプロデビューをしました。プロボクサーとしての活動は、九州じゃんがららぁめんやブルカン塾を運営する(株)タス21様にスポンサーとして支援をして頂き、また、社員としてラーメン店の店員、青春講座ブルカン塾の講師として働きました。私の座右の銘「努力は必ず報われる」の原点は、この場所で培われた心です。


内藤戦

 2008年、第51代日本フライ級王座を獲得した直後、思わぬチャンスが訪れてきました。当時のWBC世界フライ級王者・内藤大助選手との世界タイトルマッチに挑戦。公開採点により9Rまでポイント優勢でしたが、善戦するも結果、10R目に逆転KO負けでした。しかし、この内藤戦の敗戦が今日の私自身を築く土台となり、大きな転機になったのだと思います。
内藤戦に敗退し、正直、引退も考えました。なにもかも諦めよう…そんな風に弱気になっていたのかもしれません。ところが、心身共に憔悴して福井に戻った時、福井で応援してくださる皆様から「また次も頑張って下さい」「必ず、次は勝利できる!がんばれ!」「ずっと応援してるよ!」と、たくさんの温かい励ましの言葉と、本気で応援してくれる心に触れ、涙が止まりませんでした。皆様の応援が、プロボクサーを引退しようと思っていた弱気な心は吹っ飛ばしたのです。
「このまま終わってはいけない。もう一度再起して、今度は必ず福井の皆様のために世界チャンピオンのベルトを持って帰る!」と強く決意を固め、再チャレンジをする決意をしました。地元福井の人達から、たくさんの励ましの言葉やエールを頂き、私は再起し復活することが出来たのです。
内藤戦の敗戦に負けずに、ボクサーとしても人間的にも大きく成長し、今の私がいることは、福井の皆様のお陰である!と心から感謝しております。


世界チャンピオン

 2011年8月31日、日本武道館にてWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチが行われ、当時、日本選手キラーで「驚嘆すべきもの」と呼ばれるメキシコの絶対的王者 ウーゴ・カサレス選手に挑戦しました。フライ級から一階級上げて、厳しい条件下での挑戦です。

5R目の途中、右眼下底骨折というアクシデントに襲われましたが、「必ず勝つ!」そんな気合いと執念でカサレス選手と戦い、私は「第20代WBA世界スーパーフライ級王者」を手にしました。皆様の応援が真の力となり、それが私の力になって、世界チャンピオンを獲得できたと報恩感謝の気持ちでいっぱいです。そしてあの感動は一生忘れられないものとなりました。

世界王座を獲得後、チャンピオンベルトを持って福井へ凱旋帰郷し、あらゆる方々が自分の事のように喜んでくれ「夢をありがとう」と、お声をかけてくださいました。しかし、私こそが、「夢をかなえる力をくださって、ありがとうございました!」と、皆様に頭を下げたい思いでいっぱいでした。

世界チャンピオン

引退後~現在

 2012年9月、現役引退を表明。同年11月15日、福井市大和田にボクシングスタジオ「ボックス・スタイル」をオープンしました。現在、ボックス・スタイル代表として、またボクシングエクササイズのインストラクターとして、地元福井のスタジオに立ち、アマチュアボクサーの育成にも力を注いでいます。

帰郷し、ふるさと福井と再び共に歩み始めたことで改めて見えてきたことがあります。
上京する前、私は活気溢れる福井の街が大好きでした。しかし上京後、東京から福井に帰る度に、なぜか目に見えて福井の街が寂しく見えるようになり、とても悲しい気持ちになったのを覚えています。

世界チャンピオン獲得後、帰郷し、とある取材を受けた時に私は大きな衝撃を受けました。取材を通して見えてきたのは、福井の若者の県外流出。そしてその現状があまりに過酷であること…。福井の街が少しずつ寂しく見えていった理由がそこにありました。
地元へ帰ってくる若者があまりにも少ない。もちろん、一度県外に出て技術を磨き、目標に向かって頑張ることは素晴らしいことだと思っています。しかし、目標を達成した後は、その能力を福井に持ち帰り、福井で惜しみなく発揮してほしい。“発揮したい”、そう思える福井にしていかなければならない、と思うようになりました。
そのためにも若者に夢を与え、若者が必ず帰りたくなるような土台を、今後福井で作って行かなければならないと決心しました。

夢や希望、様々な目標を持ち、それらを叶える場所が福井にはある…そんな環境づくりができれば、と日々アイディアを膨らませております。

 現役時代、福井の皆さまには、言葉では言い表せない程のたくさんの温かい応援を頂きました。今度は、わたくし清水智信が郷土に恩返しをする番です。今後も福井の様々な場所で、郷土発展のために全身全霊で様々な活動に積極的に取り組んでまいります。

引退後~現在